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かたちづくり

つれづれに、だらだらと、おきらくに

多品種小ロットな世界

世の中は多品種小ロットに進んでいく傾向らしい。仮に究極的に多品種小ロットに突き進んだ世界を想像してみると、そこはどんな世界になるんだろう。
多品種小ロットということは、市場は小さく分断されるんだろう。市場の粒度が小さくなるんだろう。国や世界の経済を入れ物だとすると、その入れ物からは大きくゴツゴツした岩が減って、代わりに小さな小石や砂粒で埋め尽くされることになるんだろう。経済はサラサラと砂のように流動的になって大きな屋台骨のような構造が見えにくくなるんだろう。構造力学では経済が見えなくなって、流体力学で経済を見なくてはならなくなるんだろう。
グローバル化する一方で、逆に個々の市場は小さくなるんだろう。「ローカル」の概念が物理的・地理的制約から解放されて、生活スタイルや趣味や嗜好で区切られたセグメントに市場が局所化するんだろう。「内輪(うちわ)」という言葉が指す概念は物理的・地理的な制約から独立し、また血縁関係や組織からも独立するのだろう。
多品種小ロットの製品やサービスは、少人数の組織によって生み出されることになるんだろう。一つの製品やサービスに今までのような巨額な投資が行われることは少なくなるのだろう。高度で細分化された専門家による分業体制よりも、上流工程から下流工程まで幅広い能力を備えた人が活躍するようになるのだろう。
つまり人々は会社にコミットするのではなく、職能や専門分野にコミットするのでもなく、携わっている製品やサービスにコミットする働き方になるのだろう。名刺の肩書きには製品名やサービス名を書くようになるだろう。仕事は何かと問われたときに、会社名を答えるのではなく、専門を答えるのでもなく、製品やサービスを説明することになるのだろう。
こういった社会では、従来とは異なる「効率化」が求められるだろう。従来のような生産ラインで分業するような効率化ではなく、セル生産方式のように一人で多くのことをこなせるようにするための効率化が求められるだろう。そこではプラットフォームの概念が大きな役割を果たすだろう。
プラットフォームの構築には大きな投資が必要だろう。経済は幾つかの大きなプラットフォームと、その上で生み出される無数の製品やサービスで構成されることになるだろう。製品開発と違って、プラットフォームの構築には高度で細分化された専門家による分業・協業が必要不可欠となるだろう。


・・・ここまで書いてきたことは、かなり極端な世界。現実はここまで極端ではないと思う。けれど、色々と聞きかじった偉い人のビジョンを自分なりにつなぎ合わせてみると、傾向としてはこういう方向に向かっているような気がする。あってる?