かたちづくり

つれづれに、だらだらと、おきらくに

検索エンジンの次に来るもの

ランキングエンジン、というのはどうだろう。

もちろんユーザーの投票によるランキングシステムは既に沢山ある。ここでいうランキングエンジンとは、多数決の投票による単純な順位付けではなく、もっと高度なものを想定している。その理由は、単純な投票システムでは問題が発生しているからだ。

今流行りの、ステマというやつだ。

業者によって月島もんじゃのランキングが不正に操作された件は記憶に新しい。こういうことが起こると当然みんな疑心暗鬼になる。あれもステマじゃないか、これもステマじゃないか、と疑うようになる。こうなってはもうランキングは機能しない。

「ステマに騙される奴は情弱」。そういう見方もあるだろう。確かに個のサバイバルという視点からは情報の真偽を見定めるリテラシーも重要かもしれない。しかしそれは、あまりワクワクする考え方ではない。個のリテラシーに頼った解決よりも、システムで解決する方法を考えるアプローチのほうが好きだ。より優れたランキングシステムを構築すること、つまりステマで簡単に操作されることがないロバストなランキングエンジンは作れないのか、と考える方が楽しい。

近いものを Amazon が既に作っている、ような気がする。

Amazon のレビューには『○人中、○人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。』という表示が出ている。つまりレビューに対する信頼性をユーザーからの投票で評価している。そして「おすすめ度」の集計には、このレビューへの信頼性が勘案されているように見受けられる。つまり不正に評価を操作しようとしても、そのレビューがユーザーの信頼を得られなければ、「おすすめ度」の得点を思うように操作することは出来ないようになっているんだと思う。

こういう機能が食べログなどにも必要なのではないだろうか。

ただ、これだけではやや物足りないものを感じる。例えばあるレビューを見たユーザーが「これはステマだ」と評価したとする。果たしてその評価は信頼できるものなのだろうか。ただステマと言いたいだけの奴が滅多矢鱈に悪い評価を付けまくっている可能性はないだろうか。レビューの良し悪しの評価を単純な投票に頼ってしまっては、結局ノイズを取り除けないのではないだろうか。

つまり突き詰めて考えれば、評価の連鎖は無限、ということになる。あるモノへの評価があり、その評価への評価があり、評価の評価の評価もある。ランキングは、こういった評価の連鎖を積分したものであることが望ましい。

そういうランキングエンジンが、そのうち登場するんじゃないか、と思う。

それは待ち遠しくもあり、少し恐ろしい未来予想図だとも思う。ランキングエンジンはかなりの権威・権力を帯びる可能性があると思うからだ。それは過去に(そして今も)検索エンジンで起こったことの繰り返しだ。アクセス数は、検索エンジンの上位に表示されるかどうかに大きく左右される。そのためにSEOという言葉も生まれた。Google八分という問題も発生した。ランキングエンジンでは、この問題ががもっと露骨な形で再浮上するような気がする。

まあ、そもそもランキングというものはインターネット以前から権威の発生装置であったと言える。頼まれてもいないのにレストランに点数をつけたり。応募されたわけでもないのに文学賞を授与したり。するといつの間にか、そこに権威が発生する。権威はたぶん金になる。ランキングは常に何処かきな臭い。

そういうものかもしれない。