STAPと美味しんぼと信念の倫理
かの有名なトム・デマルコの著作「熊とワルツを」を本棚から引っ張り出してきました。
- 作者: トム・デマルコ,ティモシー・リスター,伊豆原弓
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2003/12/23
- メディア: 単行本
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改めて非常に示唆的な内容だと感じたので、簡単に紹介してみたいと思います。なお、本書はソフトウェア開発プロジェクトのリスクマネジメントについて書かれた本ですが、ここで紹介する「信念の倫理」という論文はソフトウェア開発ともリスクマネジメントとも直接関係する内容ではありません。ソフトウェア開発と縁のない方でも読める内容です。
「信念の倫理」の原題は "The Ethics of Belief" です。この「信念」の意味が一般的な日本語の意味とややニュアンスが異なっているかもしれません。「信念を貫き通す」みたいなニュアンスではなく、単に believe の名詞形として「信じること」「信じていること」と解釈するほうがしっくり来ると思います。
さて、個人が何を真実として信じるのかは各人の勝手であり自由である、というのは割と普通な考え方だと思います。もちろん、その信念が具体的な行為として発露した際にはその行為の倫理性が問われます。しかし心の内にあるかぎりは何を信念としようが倫理的な問題は問われない、と考えるのが普通ではないでしょうか。(宗教の信徒の場合は神を冒涜するような信念を抱くこと自体が罪という倫理観があるかもしれません。)
ところが「信念の倫理」では、何らかの信念を抱いた時点でそれが倫理性が問われる対象となり得る、と主張しています。誤った信念を持つこと自体が倫理に反するということです。
具体例として「信念の倫理」では次のような架空のエピソードが書かれています。ある船主が移民船を航海させようとしていました。船は老朽化しており作りも良くなかったのですが、船主は移民たちの安全を心から「信じて」送り出します。かくして老朽化のために船は沈没してしまいます。確かにこの船主に悪意はなかったが、それはこの船主の罪をなんら軽くするものではありません。この船主は船旅の安全を信ずるに値するだけの調査を怠っていたのです。つまりそのような信念を抱く権利がこの船主にはなかったのです。
では少し話を変えて、老朽化した船は航海に何とか耐えて事故は起こらなかったとします。その場合でもこの船主の罪は軽くならないと論文は主張します。船主が船の安全を確認する誠意ある調査を怠ったことに変わりはないのだから、この船主が船の安全を信じる権利はなかったです。つまり、事故が起こったか起こらなかったかという結果とは関係なく、誤ったプロセスで信念を抱いたこと自体が罪だというのです。
この論文では、倫理の追求先を責任ある立場の人物だけに限っていません。上記のエピソードでは船主が重要な責任を負う立場であることが明白ですが、そのような立場にない無名の人物でも、どんなに些細な信念でも、倫理の審判の対象となると言っています。信念というのは人間のエネルギーを凝縮し調和させる人類全体にとって神聖な財産であり、誤ったプロセスで信念を持つことはその財産の神聖性を毀損する、といった内容まで書かれています。厳しいですね…。
この論文が発表された時は、会場は拍手と怒号が入り乱れて大荒れだったそうです。確かに物議を醸す内容ですね。今風に言えば「炎上した」という状況だったのかも、と想像します。(なお、「罪」とか「権利」といった言葉が出てきますが、あくまで「倫理」の話なので法律上の罪とは分けて考えるべきだと私は解釈しています。法律上は内心の自由は保証されなくてななりません。)
昨今の騒動には「その信念を抱くに足るだけの誠実な調査があったのだろうか」との疑念を感じると同時に、自分自身が抱いている信念も問いなおす必要があるかもしれませんね。